1.始まりは?どのような感じだったかしら。
2023年現在、私は66歳です。パーキンソン病かな、と初めに頭に浮かんだのは、53歳ころでした。ペットボトルから水を飲もうとしたとき、手が震えているのに気が付きました。緊張も何もしていませんでした。あれ?と思いましたが病気とは思いませんでした。
自転車で通勤していましたが、なんとなくハンドルが真っ直ぐを保てない感じがし始めていました。
歩く時、右足が、なぜだかうまく動いてくれない気がしていました。
何よりも、仕事である歯科の治療行為の時、器具の切れ味が悪くなったように感じ始めていました。スタッフに器具は新しいものを下ろしてもらうようにしたのですが、相変わらず素早さや切れ味が出ませんでした。
そして、体操を毎日していたのですが、下丹田に重心がいかなくなってしまい、困りました。
とんでもない肩凝り、首凝りの日々でした。
これは、歳をとるということなんだ、と思っていたのです。
2.医者、治療者はどうかかわっていたのでしょうか?
①かかりつけ医
当時、私は、会員制の未病のうちに発見して健康に生きていこう、というクリニックの初期からの会員として、3か月ごとに定期受診していました。
設立の趣旨に同感して30歳の頃から会員になっていました。
上記のような症状については、特に指の動きについて50代の後半に入ってから伝えていたのです。しかし、医師は、更年期の女のたわごととして聞いているように感じました。私が、歯科医師で真っ当なことを言う人間としては扱われなかったのが残念でした。
あちこちの、マッサージ、スポーツトレーナー、霊能者、健康師、鍼灸、漢方の機関を尋ねました。
徐々に、自覚する症状がやや進んでいると考えるようになり、2017年に会員制の医師にやや強く、確定診断をしてほしいので、大学病院を紹介して欲しいと伝えました。
しかし、結局2018年の8月に紹介受診するまで、待つことになりました。
②大学病院
初診時,私の症状の説明を聞いて、専門医トップの先生は、おそらくパーキンソン病ではないと思います。とおっしゃいました。
私は保険外検査でいいので、CTを撮って確定診断して欲しいと押しました。
撮影後、結果を聞きに行くと、にやっとして、その先生は「まつもとさんのいう通りでした。パーキンソン病ですね。じゃあ、お薬を出しますのでのんでください。」とおっしゃいました。
私は、その薬はいずれ必ず効かなくなりますよね、とお聞きしました。
「はい」
・・・・そういうことですか・・・
「飲むと、人によっては吐き気が出ることもあるので、吐き気止めを出しますね。」
「それから、大変に申し訳ないけれど、私は、来月から他の大学病院にうつるので、
次回からは○○先生の担当になります。
〇月〇日の〇時に来てください。」終わり
でした。私の都合は全く聞かれませんでした。
3.ここから不思議な旅が始まりました
①音振療法など
どこか、パーキンソン病だろうと自分は考えていたので、やっぱり、という思いを持って、自宅の最寄り駅を出たところで、O先生にばったり会いました。数年ぶりでした。
近況をお互いに話していたら、「私の患者さんの○○さん、まつもと先生に歯科治療していただいたじゃないですか、あの方、パーキンソン病ですよね。音振療法であそこまで改善されて、薬もゼロに近くまで減らせてきたのを、まつもと先生ご存じですよね。」と言われて、はっとしたのです。
その通りだったのです。
それで、薬は飲まずに、音振療法のみに掛けることにしました。
その後、2年間。
週に一回通院しました。が、進行しました。
自院を閉め、それまでの生き方を全部ゼロに戻しました。
生きてきたこと全てが原因だ、とだけは、思ったからです。
全部手放さなくては、進む道は見えてこない、と考えました。
それでも、進行しました。
自分で治すという立場を取っていないと、O先生がおっしゃった時、一理はあると思いましたが
この人のこと私は、お任せしてはいるものの、そこまで繋げていない、信じ切ってもいない、やめようと決めました。
2020年の夏、もう、起きているのも、横になっているのも、居たたまれず
じっとしてもいられない。そんな時、伊東聖鎬氏のYouTube読脳チャンネルに巡り合いました。
② 読脳
初めは、タケシのスーパージョッキーの古い番組の一部がYouTubeにありました。
笑いを求めて探していた時でした。
伊東聖鎬氏が超能力者?として出ていらっしゃいました。
たしか、誰かの身体に触れると、別の人の身体に変化―前屈がずーっとできるようになる―という場面でした。つづけて、お名前から検索すると、読脳チャンネルに行き当たったのです。
これだ!
と思いました。
すぐに、調べて、お電話しました。
とにかく、お会いしに行けるようになりたい、なんとかして欲しい、すがる思いもかなりありました。
伊東聖鎬氏は、治療はしません。ご自分で学んで自分でできるようになりたいという方に協力するだけです。と言われました。
また、一日体験をするにも、YouTube読脳チャンネルの動画を100本だか300本だか観ること、
著書を読むこと、と言われました。
・・・・考えて、そのためにまずはYouTube読脳チャンネルを見たり、本を読むために、これは、薬を最少量のもうと決心しました。できるようになったら、減らそう、と決めました。
ちなみに、恐ろしく感じるほど薬は効きました。
③一日体験までの日々
a.オンラインで先生に会うのですし、指示されたらすぐその場、つまり自宅で自分一人で、調整できるようになっていなければ、参加する意味がないと考え、動画を夢中で観て、いろいろなことをやって練習しました。
距骨の調整
支持骨の調整
b.著書
これは、凄かった。
世界観、宇宙観、存在というものの観念、生きるという哲学
そうだ、そうよ、これだ、と魅了されました。
興味、必要、など浮かんでいらしたら、ぜひご一読ください。
c.実際の体験の日
同じ日に私など恐縮してしまうような強者、そして、若くてたいへんな状況を心身に抱えている女性が一日体験に参加していました。
私は、上記のような変化を体験しました。
これは、学ぶべきところだ、ただ、読脳は、ある特殊な才能が必要なのではないかと感じましたので、才能がないとダメのではないですか?とお聞きしました。
すると、それへの答えは
人間を好きですか?という問いかけでした。
私は、はい、大好きです、と答えていました。
ならばできますよ、と言われました。
それで、編入を決心しました。
一日体験の様子と、その後の動画です。
続きます!しばしお待ちください。
コメント
続ける事が財産になります!頑張って書いてくださいね。
ありがとうございます。