夫婦、互いが一人の存在として本物であり、その自分を互いの人生で共有、実在す

男と女
共白髪、どことなくペアルック、ともに歩む

数年前にご縁があり、ある俳句の会に参加するようになり、鈴木明という凄まじい才能の俳人のもとで少しばかりでしたが句作を学びました。

初めてお会いしたのは、先生がまだ70代の終わり頃でいらしたと思います。お背が高く、すっくと立たれ、迫力というか、大きな存在感が圧倒的。

口になさる言葉に無駄がなく、深いものがある方でした。

昨年の5/28に大腸がんでこの世を去られました。

そのちょうど一年目の先日、ホテルNで偲ぶ会があり出席させていただきました。

奥様は、元宝塚の方。

実は初めて先生のお宅に句会の為に伺った時、私は

どうしてそんなにお美しいのですか?と口に出してしまったのです。本当に明るい美しい方。

ある短い期間、先生は私のクリニックにご来院いただいていました。そのことでだったと思いますが、お礼にと明先生ご夫婦と私の三人でお食事させていただきました。

その時、明先生と二人になった時、先生はなぜ奥様とご結婚されたのですか?と馬鹿な質問をしました。聞きたかったのです。

すると先生は、

初めて会った時、この女を自分のものにしないでは男じゃないと思ったんだ、とおっしゃったのです。

かっこいい!

そういわせる奥様がまたその関りにふさわしい凄い存在だからなのはわかる。でもそれだけではありません。

このかっこよさが、明先生には一貫していました。

考えてみれば、作句を生業に生きるということを決心して生き、貫いてきたというのは

すさまじい生きざま、パワー、命がけの向き合いなくしてはできない生き方。

だと思いました。

それを支える妻を得るという幸運も、しっかり自分で掴んだのだと推察します。

先生の句はとても難しい、一回詠んだくらいではわかりません。

それは一語に読み込まれた意味・感情・背景・考えが濃密だから。

その語に行き着くまで、どれだけの力を注ぐのか、はかり知れないのです。

亡くなる直前の一週間を、奥様は愛の究極の濃密な日々でした、とお話しくださいました。

大柄の先生、奥様は自宅で看取る覚悟でしたが、とてもか細い彼女とお手伝いさんではどうにもできず、やむなく病院へ。ただ命がけの愛らしい、ごり押しして、コロナ禍なのに毎日必ず病院に入れてくださいと許可をもらい

苦しませない、しんどい思いなく、痛まないようにだけして欲しい。

延命はしないで、無理に生かそうとはしないで、を貫いたのです。

3日目になんと先生は電話してきて、あっちゃん!、寿司!とろ!というのだそうです。

水も飲み込めず、痰取りが大変なのに。

久兵衛の特別なとろと鯛を小さな小さな寿司にと握っていただき持っていったら、看護師さん5人も一緒にみんなで召し上がれたのです。

翌日・・天蓋の至純至白の滝の壺

詠んだ句、ベッド横のテーブルの上に縒れた字

2月ころから俳句を詠めなくなっていたところ・・・・句を

書いていたそうなのです。

きれいな句が書けてよかったな、しおりにしてもらおうな

いっぱい私に愛をくれてありがとうな、と言ったら、

ちがうよ、あっちゃんが僕に愛を教えてくれたんだよ、と。

 

先生の句の一番の近い弟子、まいちゃん、泣いて泣いて、この句をみて先生らしい句と。

それを知った明先生、奥様に見せた初めて涙。ぽつん。

まいちゃんという一番の理解者、先生のそば近くで17歳から学んでいる子が、泣いて喜んだと、

これでちゃんとした句ができた、と。ほっとした先生なのです。

27日危篤・・・明日28日本が出来上がるから、それまでなんとか生き続けられないかな、と

先生今日中には無理ですか?

奔走して力をかけ、祈り、本-全句集-が夕方一冊だけ届く。二人で本を撫で見て、ここがこれ、ここが写真と見ていく。

路光さんのところをみて、そして、

「あっちゃん、僕、今日死ぬ」という、

「あっちゃんと一緒に暮らせたことは幸せだった」これが言葉としては口に出した最後。

赤ペンとボードの上で書いた。

「あっちゃんと二人だけで全句集みれたのが一番うれしかった。

どうぞ六郎さんによろしく、好きな男でした。」

くみさんは?

「くみさん、ぱぱ、ありがとう、ほんとうにありがとうござました」

きさこさんは?

「なんとも言いようのないお世話になりました。

(実の会から野の会に移行した、抵抗のある中での、影の努力をしてくれた方)

天蓋の句は軽井沢です、あたり、ピンポン

しずちゃん、もう会うことはないです、

はい、さいなら」

危篤で28日朝手を握っていた、握り返せる、そのまま4時間位。思い出話して。

ちょっとトイレに行っていた、5分位してもどったら、亡くなっていた。

死ぬ瞬間はおくさんに見せたくなかったからという、それが奥さんに対する気づかいですよ。と看護師さん

俳句を気にして

立派な最期

男で逝きたい

通の羅漢の頭なでつ

堂々として男で死んだ、そういう師匠

「俳句は20代の男の情熱がふさわしく、必要なのですよ。」とおっしゃっていました。

奥様の着物のショップ、ある時先生が立ち寄って、たまたま留守番していたら、きたお客さまがどんどんお買い上げになり、来客2.3人で1000万円くらい・・・になったとか。somethingをもっているひとだったのだと思います。

70.80で夫婦がどちらかが斃れる

見送る側、見送られこの世に片割れを遺していくもの。

愛を共有、成長・学びをも共有

人生を共有、全てを共有

これが男として生きる、女として生きる究極なのかな

羨ましい。 最期の句

 

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